はじめに
連載の開始に際して、香道志野流第二十世家元・蜂谷宗玄宗匠の言葉を引用したいと思います。(入門希望者向け小冊子『香道志野流』より)
「香道は、茶道、華道、能などとともに中世に誕生。婆沙羅大名はじめ一部上流階級の贅を極めた芸道として発展してきました。
なかでも香道は.それら中世芸道のエッセンスを凝縮した文化として洗練度を高め、当時としては非常に稀少な南アジア産の天然香木を、研ぎ澄まされた感性で判別するという、独自の世界を構築するにいたりました。
当志野流は、香道発祥以来の歴史と伝統を、父子相伝によってひたむきに守り続け、絶えることなく現代に継承してまいりました。香道を始めようとする方のなかには、香道は難解だとのイメージをお持ちの方もいるかと思います。確かに香道は、礼儀作法・立居振舞など約束事の多い世界です。上達するにつれ、古典文学や書道の素養も若干は求められます。しかし、香道の原点は何よりも、香りそのものを楽しむことにあります。嗅覚は人間の五感のうち、残された最後のものです。多種多様な香りを聞き分ける、あるいは一つの香りを追求する、その繰り返しによって新しい感受性が生まれ、やがて自分だけのイメージ世界が創造できるはずです。
香りは文化の水準を示す重要な要素です。そして、それを支えるものは、香りを楽しもうとする積極的な気持ちです。広大無辺なこの香りの世界で、ともに学び、ともに楽しもうではありませんか。」
香道を構成する要素は種々あり、適宜触れて行きますが、最初に特筆しておきたいことは、寺院との関わりの深さです。
最も重要な要素である「香木」の伝来の歴史からも、また、芸道として成立する過程においても、そして何よりも、芸道と一般社会とを結びつける、いわば日本の伝統文化の発信地、あるいは橋渡し的役割を担うに真にふさわしいものとして、寺院の存在は極めて大きいといえるのです。
香道発祥の地を敢えて特定するならば、慈照寺銀閣の名を挙げることかできます。足利義政の側近として東山文化を形成した人々の交流のなかで、香りの芸術は「道」として確立されていったのです。慈照寺には最古の香室「弄清亭」が復元されており、現在でも志野流の教場として稽古が続けらています。
■組香解説
左ページの写真は、十年以上前に弄清亭で催された香席の記録(香記)です。この日に行われた組香は、正月にふさわしい「萬歳香」で、「君が代」の歌の心を主題として構成されたものです。組香の何たるかはいずれ改めて詳述しますが、「萬歳香」に用いられた香木は四種類で、「千世」として四包、「八千代」として四包、「細石」として四包、そして「巌」として一包でした。このうち「巌」を除く三種類を、試香として各々一包ずつ順にたき出し、それぞれの香りを覚えてもらいます。そして本番(本香)では残った計十包を混ぜ合わせ、名を伏せて順にたき出し、どの香木であったかを当てさせるのです。「千世」だと思えば「一」、「八千代」だと思えば「二」、「細石」と思えば「三」。そして、そのどれでもなければ、試香には入っていなかった(「客香」といいます)「巌」であり、「客」またはそのウ冠をとって「ウ」と答えることになります。最後に答え合わせをし、各人の点数をつけ、最高点をとった人に、ごほうびとして香記が授与されます。