Column

2016.05.22

伽羅について

他の木所の呼称が産地や重要な交易の拠点の名称を彷彿させるのに比べて、伽羅だけは、別格とも言える扱いを受けています。それは、古来、伽羅が最上級の「沈(ぢむ=沈水香木)」とみなされ、殊更に尊重されて来たことを示していると考えられます。では、沈水香木(以下、沈香)を伽羅と判定する基準とは、一体何なのでしょうか?最上級の沈香を伽羅と言うのであれば、その等級分類の何番目からが伽羅なのでしょうか?つまり、沈香と伽羅との境目が、どこかにあるのでしょうか?

香雅堂の答えは、シンプルです。すなわち、「伽羅は、沈香とは明らかに異なる性質を具える香木である。」従って、「最上級の沈香を伽羅と称する訳では無い」ということです。言い換えますと、「どんなに上質でも沈香は沈香であり、どんなに低品質でも、伽羅は伽羅である。」ということになります。ただ、伽羅の元になる植物(沈香樹)は沈香と同じくジンチョウゲ科アキラリア属とされていますから、「広い意味では、伽羅は沈香の仲間であると表現できる」と考えています。

存じ上げる範囲では、伽羅は、ベトナムの限られた地域以外からは見つかっていないようです。(20年ほど前に、ベトナムと国境を接するカンボジアの密林地帯に採集人を送り込んだことがありました。約25年ぶりに安全が確保され、侵入可能となった地域でしたが、沈香は何キロか見つかったものの、伽羅は全く採集できませんでした。また、海南島で採れたと言われる伽羅の写真を拝見したことがありますが、実物は確認できていません。インドネシアで採集された伽羅と言われるものは数例の実物を精査した経験がありますが、いずれもパプア州で産出する沈香でした。)

その理由も、同じベトナム産の沈香樹でありながら沈香に変質するものもあれば伽羅に変質するものもある理由も、解明されていません。更には、沈香と伽羅とを識別する合理的な根拠・方法も、確立されているとは言えません。ガスクロマトグラフで成分の分析を試みた事例は存じ上げていますが、「検出された化学物質を同定するデータが揃っていないため、木所の分類には役立たない」というのが、正当な評価であると考えています。

香雅堂では、「沈香と伽羅とを識別する根拠は、樹脂分の性質の違いにある」と考えています。その違いは外見・肌合いなどから感じ取ることも可能ですが、それは決して一般的な感覚とは言えず、あくまでも体験を重ねる過程で様々な生きたデータを収集・整理した結果として得られる特殊なもので、言語で表現することも不可能に近いと思われます。では、どのような体験を重ねれば有効なデータが得られるかと言いますと、

1.外見を観察する
2.触れてみる
3.鋭利な刃物で削ってみる
4.鋸で挽いてみる
5.確認のために聞香してみる

というような一連の作業を、できるだけ多くの香木の塊に接して実行するのが理想です。対象となる香木の塊が多様で多数であればあるほど、頭の中に蓄積されるデータは信頼性を増していきます。数十例では判らないことが数百例に至って判るかも知れませんし、数千例を超えてから漸く確かなものに感じられるかも知れません。データの試料(香木の塊)は十人十色・千差万別、全く同じものはこの世に一つしか存在しないからです。それでも、ある程度データが蓄積されてくると、外見だけでも六国(木所)や品質の程度を判断することが可能になります(最終的な判断を下すには、聞香する必要がありますが)。

上記の体験のうち、比較的に言語で表現し易いものが、3、4です。3の場合、重要なのは、刃先に感じる「滑らかさ」です。(削る対象が柔らかいのか堅いのかを鋭敏に感じ取る必要があります)4の場合、観察するのは、挽き粉の感触の「柔らかさ」です。(なるべく歯振=あさり=が少なく目が細かい鋸を用いる必要があります)

沈香の場合、例外(「仮銘 風の移り香」等)が皆無とは言い切れませんが、どんなに上質であっても削る感触は堅く、挽き粉はサラサラしています。 それに対して伽羅の場合、例外(縮油伽羅)もありますが、最上質でも最低ランクでも削る感触には滑らかさが感じられ、樹脂化した部分の挽き粉はサラサラにならず、しっとりした柔らかさに加えて、粘り気のようなものさえ感じさせます。更には、削った面や鋸で挽いた断面から、樹脂分の流動性を感じることがあります。

具体的に申し上げると、「滲み出る」のです。もちろん、常温で。その現象は、塊が発見・採集されてからの歳月に比例するのではなく、沈香樹の組織が樹脂化を遂げた密度の濃さに比例するように感じられます。数十年ぶりに挽いた古木の断面から樹脂分が滲み出て、触れるとベタベタすることは、珍しくありません。そして、それを紙に包むと、樹脂分が紙に吸い取られます。樹脂分の滲出は、新しい断面からだけでなく、あらゆる表面から進行すると思われます。伽羅の香包として竹の皮や竹皮紙(若竹の薄皮を和紙で裏打ちしたもの)が用いられるのは、そのような理由からです。

樹脂分の性質の違いは、香気の立ち方にも表われます。沈香も常温で香気を発しますが、その程度は遥かに伽羅に及びません。つまり、聞香炉などで加熱すると、伽羅は沈香よりも低温の状態から芳醇な香気を放ち始めます。(歴史的な名香等の古木の欠片を銀葉に載せた際に香気の立ち上がりが遅く感じられることがあるのは、表面から樹脂分が揮発してしまっているためと考えられます。)(また、「欠片を10年~20年という長期間に亘って”寝かせて”おくと、熟成して良い伽羅になる」と仰る方がおられますが、樹脂分が”熟成する”ということは考えられません。恐らくは、適度に揮発してしまったことによって立ち始めの鋭さが和らいで、好ましく感じられるのではないかと推察します。)

どんな香木にも十人十色の良さがあり、味わいは千差万別です。それらが秘めている力を最大限に発揮させることは至難の業であり、繊細な香気を堪能するためには、道具(主に灰と香炭団)に対する工夫や最適な火加減(火合)を探る努力が要求されます。伽羅の場合、どの程度の低温から加熱し始めれば欠片に秘められた力を最大限に発揮させられるのか、試行錯誤を繰り返すことも、醍醐味の一部かも知れません。文献にある『十返(とがえし)』とは何を意味するのか考察することも、聞香の愉しさを深めてくれるものと思います。

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