Column

2010.07.11

香道の真髄

香道においては、香木の匂いをかぐことを「聞く」と表現します。「聞香」とは本来中国の言葉であり(漢和辞典を引いてみると、聞の文字には匂いをかぐという意味が含まれています)、我が国では江戸時代以降に、香に関する場合に限って「きく」と言い慣わし始めたようです。

大和言葉にあってはあくまでも「かぐ」が正しいとの説もありましたが、もはや「聞く」という言葉には、香道の真髄に直結する概念が込められていると言っても過言ではなく、筆者もこの慣例に従うこととします。

さて、香道を理解する上で基礎となるのが、香を聞き分けること、そして一木の香気を深く味わい尽くすことの楽しさを知ることです。それは、一月号の冒頭に引用した香道志野流第二十世家元 蜂谷宗玄宗匠の言葉からもうかがえますし、また香道御家流第二十一代宗家 故三條西堯山宗匠の「香道は香味を知ることに始まって、それを悟るところに終わるのである。香味を理解してはじめて香が炷けるのである」との言葉にも要約されています。

香道の本質は、端然とした手前作法の見事さや、工夫を凝らした道具の美しさにあるのではなく、わずか四ミリ角、厚さ0.5ミリの小さな香木のかけらの中に隠れているのです。手前作法や香道具は、その隠れた何かをこの世に引き出すための過程であり、手段に過ぎないのです。何をどの程度まで引き出せるかは、その香木を炷く人の心身の在り様にかかっています。 だからこそ、香道は単なる風流や雅にとどまらず、「道」で在り得るのです。

香道の真髄が香味を悟ることにあるとすれば、手前作法の究極は、炷こうとする香木が持っている力を最大限に引き出すことにあると言えます。

香木の香りは、世の中に溢れている科学香料の香りに比べるとはるかに仄かで優しいものですが、決して単調ではありません。前号で「五味」に言及しましたが、大抵の香木はその味を二つか三つは持っています。炷き始めは鋭く甘く、やがてまろやかに変化しつつ苦みが加わり、更に辛さを感じさせながら、柔らかな甘さに落ち着いて安定する………といった具合です。この様な変化のしかたや香味の組み合わせは千差万別で、厳密には全ての香木が各々異なる特徴を備えており、同じ木所(例えば伽羅)であっても、完全に同じ立ち方をする香木は二つと無いと言いきれます。全身全霊を傾けねば聞き取れないほどの微妙な変化や起伏の味わい深さは、人間には作り得ない、まさに自然の芸術を讃えるにふさわしいものと言えます。

一片の香木の香りを聞くことに依って、宇宙の神秘に触れるかの如き境地に逍遙することは聞香の醍醐味ですが、それを可能にするのは、適切な火加減に他なりません。すなわち、炷こうとする香木をどの様に加熱するかと言うことが、大変に重要な課題なのです。その具体的な方法については、次号で触れたいと思います。

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