Column

2010.07.11

伝来形 眞塗忍草蒔絵十種香箱皆具(幽光斎箱書)

 歴史的な名品を学術的に解説するのではなく、自らが手掛けた現代の香道具について語ることは、御当代の御家元・御宗家に対して畏れ多いと感じ続けて来ました。香道という「道」の稽古は流派に属して初めて辿ることができるものですし、香道具もまた、伝来の意味と御当代の意を体することなしには存在し得ないものと考えるからです。香道の伝書に、『師説を受くべし』との表現が頻繁に見受けられますが、御家元は決して饒舌に語られることはありません。それは、質問して安易に答えを得ようとする姿勢への戒めであると共に、答えを知ったと思う瞬間に進歩の余地が無くなることへの憂いゆえではないかと想像しています。

さて、連載に一応の区切りを付けるに際して採り上げたいのは、最も苦労が多く、制作期間も長く、思い入れも深い、十種香箱皆具です。「十種香箱」の名は、「一般的な香席に用いる道具一切を納める箱」というような意味合いではないかと想像しますが、二十種類を超える道具が、さほど大きくはない二段重ねの箱にびっしりと入っているものです。一般的な道具が多いとは言え、一部には秘伝に属するものも含まれており、撮影対象から外させて戴きました。また火道具(七つ道具)も含まれますが、前々回にて紹介していますので、省略しました。紐は、秘伝の文庫結びではなく、略式に結んであります。ご諒解下さい。

お施主は、火道具(七つ道具)の研究・製作という課題を通じて、初めて香道具を手掛けるきっかけを与えて下さった、高橋千惠子様でした。その後も様々なご依頼を頂戴し、その度にご指導・ご鞭撻を賜わり、厳しいながらも、心底からの温かさで包み込んで下さいます。何よりも有り難いことは、それらの全てが、香道志野流に全身全霊を捧げられ、文字どおり御家元の「薫陶」を受けられる中でのお言葉であり、行ないであると感じられることです。

もう何年も前のある時、高橋様から、古めかしい十種香箱を見せて戴きました。

年代を経て重厚な色と風合いを示す中に、美しい木目が現われている本桑木地製の優品でした。上質の桐で作られた仕舞箱には、香道志野流第十八世家元蜂谷宗致、号「頑魯庵」の箱書・在判が見事な筆致で認められていました。

ご主旨は、その伝来品の写しを調製することでしたが、そこには深遠なお志が秘められていました。詳述は避けますが、遠い将来に御家元のお役に立てるよう、志野流伝来の忍草蒔絵を施した優美なお道具にしたいとのご要望でした。

紐を解き、蓋を開けて驚きました。何種類もの香道具が、隙間無く納められているのです。何処に何をどのように納めるのか、詳細を図解しておかなければ、二度と再び元に戻せないと怖くなり、先ずはその研究から始めたことを覚えています。頼りがいがあったのは、やはり母でした。御家元からお叱りを受けるかも知れませんが、伝来形十種香箱納め様の図を入手してくれたのです。

ようやく取り出したお道具類は、漆器、陶器、銀器、布、紙、貝など多岐にわたる素材・技法を駆使しなければ完成しない総合的なもので、溜息が出るような多彩さです。お陰様で、お道具好きな母と二人でたっぷりと苦労し、楽しませて戴けました。細部に亘って触れる余裕がありませんが、最も苦労したのは足利義政公好みの復刻を図った南鐐製火道具建(波に亀の薄肉彫、昇り亀の耳付)や火取箸(切子箸。板を八角に鑞付けし、頭に切子を彫り抜いて回転させられるように差し込む)ではなく、意外な伏兵とも言える「班車」(写真中段左から二番目の三片)でした。それは、五枚一組と二片の小さな黒檀木地で構成された「回転式判」で、それ一つで源氏香図五十二通りを作れるという驚くべき道具なのです。形状が異なる五枚の木片の中心を正確に銀金具で貫き留め、それぞれを回転させてどのように組み合わせても朱肉で判を押せるという仕組みを再現することは、困難を極めました。誰の発案かは存じませんが、さり気なく納められたごく小さなお道具からも、伝来の重さをひしひしと感じることができたのでした。

数年の歳月をかけて完成した皆具は、御当代御家元から「伝来形」との御箱書及び在判を頂戴することによって香道志野流伝来の道具に列せられることとなり、高橋様にお喜び戴けたことは、何よりの幸せでした。

末筆になり恐縮に存じますが、これまで共同作業に付き合って下さった盟友、十文字美信氏のご好誼に対し、心から感謝申し上げます。想像を絶する多忙の中、快く撮影を引き受けて下さる潔さには、いつも頭が下がる思いを味わって来ました。

香道具にまつわる「つれづれ」は今回でひと区切りをつけますが、まだまだ遣り残していることがあります。それは、 永い間お世話になり愛着を感じる『ふでばこ』誌上に、「十文字美信の心髄を現わす」作品群を登場させることです。主題については、いずれ企画が実現する際に、明らかにしたいと思います。

 
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